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2023.7.28

エメラルド色の海と、真っ黒なイカスミ。カンムリワシ・具志堅用高が語る、「ゆんたく」という名の沖縄チルタイム。

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元ボクシング世界チャンピオンのチルタイムは、自身の出身地である沖縄にあった。

ボクシング元WBA世界ライトフライ級チャンピオン。現役時代「カンムリワシ」*の異名をとり、1977年から1980年の4年間で13度の防衛を果たした。日本最多を誇るこの記録は40年以上経った今なお破られていない。

※世界制覇を成し遂げた試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。

プロボクサー、そしてタレントとしても成功を収めている具志堅さんのチルタイムは出身地である沖縄にあるという。今回はその沖縄で、具志堅さんのチルタイムについてはもちろん沖縄にしかない魅力や現役時代から今に至るまでの波乱万丈の人生をたっぷりと語っていただいた。

■プロフィール
具志堅用高(ぐしけんようこう)
元プロボクサー、元WBA世界ライトフライ級チャンピオン。世界王座13回防衛は日本人最多記録として、未だに破られていない。
現役引退後は解説者・タレントとして、バラエティ番組やドラマに出演し活躍している。

沖縄の魅力は、爽やかな風とエメラルドブルーの海

——沖縄にはどのくらいの頻度で帰ってきているんですか?

具志堅:大体月に1〜2回だったけど、ここ最近は沖縄での仕事も多くて、週に1回くらいは来てるね。沖縄と東京を行ったり来たりする生活になっちゃってる(笑)。

——東京と比べて、沖縄のどんなところが好きですか?

具志堅:空気だなあ。沖縄の風は爽やかで柔らかくて気持ち良いのよ。東京は高層ビルが多いから風も少ないし、吹いた時は強いしね。だから沖縄に帰ってきてこの風を浴びると「帰ってきたな」って感じるわけですよ。あとは、やっぱり綺麗なエメラルド色(筆者注:ターコイズブルー?)したビーチだね。最近は観光客向けに整備されたビーチが多いじゃないですか。でも、俺は小さくても良いから人の手が加えられていない、自然がそのまま残っているビーチが好きですね。

今回の取材は、沖縄本島の都市部では珍しい天然の珊瑚でできた「里浜ビーチ」で行った。

——ご出身である石垣島も綺麗なビーチが多そうですね。

具志堅:すごいですよ! 実家の目の前にもビーチがあったので、中学生の頃までは毎日遊んでましたね。自転車に乗って、釣りにもよく行ってたなあ。高校生になってボクシングを始めたあとは練習しかしてなくて、遊ぶことはなくなりましたけどね。高校卒業と同時に上京したから、東京での生活は50年になるけど、やっぱり沖縄はいいですよ。

具志堅さん別注「イカスミつけソーメン」

——具志堅さんにとっての1番のチルタイムは、このお店〈ちゅらさん亭〉で過ごす時間ということですが、どういう瞬間が“チル”なんでしょうか?

具志堅:このお店の料理を食べてる時ですね。俺、ここでごはんを食べるのがすごく楽しみなのよ。最初はテレビのロケで来たんだけど、それ以来7〜8年は通ってますよ。知り合いと来ることもあれば、1人で来ることも多いですね。カウンターで料理を食べてると、大将が前まで来てくれてね。雑談する、その時間も好きですね。

この店には東京だと食べられない料理がたくさんあるし、どれも美味しいんです。それに沖縄でとれる魚の料理も多くて、グルクンとかイラブチャー、アカジンなんて最高ですよ。紅芋の天ぷらも甘くて、デザートみたいだしね。とくにこの、イカスミつけソーメンが大好き! 毎回仕上げに食べてますね。

真っ黒な墨にソーメンを絡ませ、一気に啜る。具志堅流の「沖縄つけ麺」

——イカスミつけソーメン、美味しそうですね! でも、メニューの写真と違うような気がするんですが……。

具志堅:これ、俺専用の食べ方なのよ。普通はイカスミとソーメンが混ざったチャンプルーにして食べるんだけど、俺はこうやってイカスミにつけて食べるの。最初はチャンプルーで食べてたんだけど、もっと濃い状態で食べたいと思ったのよ。それで大将に頼んでイカスミ汁を作ってもらったわけ。イカスミパスタ発祥の地、イタリアの……ヴェネチア! ヴェネチアでイカスミパスタを食べたことがあるんですよ。でも味も色も薄いのよ。こんなに濃くないわけ。でも、見てこれ! この黒くて濃いのがいいのよ。こんな食べ方させてくれるのはこの店だけじゃないですか?(笑) 本当、贅沢だよね。

芸能界の沖縄県人が集まる「具志堅会」

——ところで、沖縄出身の方が集まる「具志堅会」があるというのをお聞きしたんですけど、どのような会なんですか?

具志堅:沖縄県人が集まる会ですね。ここ数年はコロナの影響もあってなかなか出来てないけど、そろそろ集まろうって話しているところですよ。

——とても気になります! いつ頃から始まったんですか?

具志堅:もう8年くらいになるかなあ。初めはガレッジセールのゴリさん、DA PUMPのISSAさん、山田親太朗さんと俺の4人でご飯食べてたんだよね。そこでISSAさんが「沖縄県人集めて具志堅会を作りましょう!」って。それからどんどん増えてきて、MAXの皆さん、夏川りみさん、ロバートの山本くん、SPEEDの島袋寛子さんも来たかな。名簿を作ってるから、毎回バーっと連絡していくわけですね。

——豪華なメンバーですね。

具志堅:みんなテンション上がってますね。やっぱり同郷で集まると嬉しくなっちゃうんじゃないですか? いつもカラオケで歌って盛り上がりますよ。みんなが自分の持ち歌を歌ってくれるんです。豪華。あ、そういえばロバートの山本くんは群馬出身だな。なんで入ったんだっけ……。まあ、彼はボクシングやってるからOKですね! 沖縄のことも好きだしね!

大学に進学するために上京したものの、思いもよらぬ形でプロボクサーの道へ

——具志堅さんは18歳の頃上京されたということですが、それ以前に東京に行ったことはあったんですか?

具志堅:高校2年生の時にインターハイが山形県であったんですよ。会場に向かうために、フェリーで2日かけて東京まで出てきて、そこから山形まで夜行列車に乗らないといけなかったんです。電車もその時に初めて見たんだけど、駅のホームにいる人の多さは衝撃だったよ。これはすごい経験をしたなと思ったね。

——その後、プロを目指して上京。世界チャンピオンを何人も輩出している名門の協栄ジムへストレートに入ったということですね。

具志堅:それが違うんです。3年生の頃にインターハイで優勝したとき、もういろんな大学から声がかかってたのよ。日大、近大、中大、法政大、拓殖大……まだあったかな。だから俺は大学に入って、オリンピックの金メダルを目指そうと思ってたんですよ。どこに行くか迷った末、先輩のいた拓殖大学に行こうと決めたんです。入学の手続きも済ませてたし、ボクシング部の監督がポケットマネーで準備してくれた、東京行きの飛行機チケットも持ってたわけ。

——そこまで決めていたのに、なんで大学進学を辞めてしまったんですか?

具志堅:羽田空港に到着したら、ボクシング部の監督ではなく協栄ジムのマネージャーが居て、そのままジムに行くことになったんです。俺も何が何だか分からなくて、とりあえず着いていったらジムにはカメラとか記者とかが待ち構えていて。30人くらい居たんじゃない? 到着するなり、すぐ記者会見が始まったのよ。 

——空港に着いた瞬間、流れでそのまま協栄ジムへ。「じゃあプロになろう!」とすぐに切り替えられたんですか?

具志堅:切り替えるもなにも、翌日、新聞に大きく載ったんですよ。「インターハイ優勝の具志堅がプロデビュー」って。あれは嬉しかった。他人事のように「プロってすごいなあ」と思って、これはもうやるしかないなって思いましたね。でも、大学側には申し訳なかったです。相当騒ぎになったそうですし。後から知ったんですけど、協栄ジムも僕に目をつけていたんですよ。高校時代に僕が住んでいた下宿に電話して、羽田空港に来る時間を聞いてたそうです。

——その決断は、ご自身にとってもかなりプレッシャーになったんではないですか?

具志堅:そうですね。だから、ひたすら練習しました。でも、プロデビュー戦(筆者注:VS 牧光一、判定勝ち)は全然ダメだったんです。思うような試合ができなかった自分が悔しくて、更に頑張りました。すると徐々にサンドバッグを叩いた時の音が変わってきて、力がついていくのが分かったんですよ。そして、4ヶ月後のプロ2戦目(筆者注:VS 牧光一、判定勝ち)では、自分の想定通りの試合運びができたんです。そこで自信がついて「プロでも頑張れる」と思いましたね。

——とはいってもまだ18歳、練習をサボって遊びたくなることはなかったんですか?

具志堅:プロでやっていくと自分で決めたわけですから、決めたからにはやり通さないとダメだと思ってましたね。自分を律して、ひたすら練習に取り組まないと世界チャンピオンは獲れないですよ。

500円のハンバーグ定食から、1万円越えのステーキへ

——練習の甲斐もあって、デビューから2年で世界チャンピオンになった時はどんな気持ちでしたか?

具志堅:嬉しかったですよ! 世界チャンピオンになって初めて、ボクシングって楽しいなと感じたもんなあ。それまでは全然面白くなかった。チャンピオンになったら、ご褒美にハワイに連れて行ってもらえるんですけど、それが嬉しくてね。俺、ハワイに行くのが夢だったのよ。だから、防衛するたびハワイに行けるのが楽しみでしたね。あと、チャンピオンになるまではお金がないから美味しいご飯も食べられないんです。よく代々木駅前で500円くらいのハンバーグを食べてたんですけど、チャンピオンになってからは1万円以上するステーキが食べれるようになったんです。僕の住んでいたマンションに肉屋さんが肉を売りにくるわけですよ。100グラムで4000円以上する肉を、300グラムくらい頼んで食べてたなあ。

——周囲の人の反応はどうでしたか?

具志堅:すごかったですよ。同じ沖縄県出身の人から「勇気もらった」とか「友達が増えた」とか色んな声をかけてもらいましたね。「会社で偉くなった!」なんて人もいたなあ(笑)。当時は沖縄が返還されたばかりで、東京に住んでる沖縄人も肩身が狭い思いをしていた人もいた時代ですからね。

——そこから前人未到の13回連続防衛を果たすわけですが、世界チャンピオンとしてのプレッシャーが常にある中で息抜きはどうされていたんですか?

具志堅:ショッピングかなあ。原宿とか銀座に行って、当時流行っていたルイヴィトンの店に行ったりしましたよ。ネクタイとかバックとかブレスレットを買いましたね。あれが楽しみだったなあ。でもあれだな、ブレスレットはすぐにやめたな。朝、ロードワーク(編注:ジョギングによるトレーニング)の前に外す。昼、ジムに行って練習前に外す。夜、お風呂の前に外す。面倒じゃない? だから買ってすぐに「もうやめた!」ってなりましたね。

——世界チャンピオンともなると、他のスポーツ選手と一緒に息抜きをされることも?

具志堅:当時、野球選手として活躍していた仙さん(星野仙一)とか、浩二さん(山本浩二)からは、よく六本木に呼ばれましたね。次の日も朝からロードワークしないといけないから、1時間くらいパッと顔を出しに行くだけでしたけどね。でも、みなさん豪快に飲んでも翌日にはちゃんと試合で活躍してたからすごいですよ。

元世界チャンピオンが見る、芸能界というリング

——引退後、タレントとしてもご活躍されていますが、現役時代と比べていかがですか?

具志堅:大変ですよ! そんなに甘くないですね。ボクシングは個人競技だから自分のことだけ考えていればよかったんです。でもテレビはチームプレイじゃないですか。自分のことだけではなく、周りのことも考えなくちゃいけないんですよ。常に共演者の動きを見て、何を考えているか、次にどう動こうかとかね。売れっ子の人なんかは常に先を読んで動いてて、すごいと思いますよ。画面越しでは気を遣ってないように見えるかもしれないけど、みんな細かいところまで気を遣ってますね。面白いコメントを言うこともあれば、現場の流れを読んで進行に回ることもある。見ていて面白いし、すごいなあって思いますよ。

元世界チャンピオンが見る、芸能界というリング

——具志堅さんも収録中は色々と考えていらっしゃるんですか?

具志堅:俺はみんなに合わせて、騒いでるだけです(笑)

——現役時代は「世界チャンピオンになる」や「防衛を続ける」といったモチベーションがあったと思うんですけど、今はなにを原動力にしているんですか?

具志堅:家族ですね。やっぱり毎日家に帰った瞬間が1番嬉しいですから。孫の顔を見ると「まだまだ頑張らなきゃ」といつも思いますよ。「俺が家族のことを守っていかなくちゃ」って。

辛い時は「相談」する。そして「勇気」を持って立ち向かう

——具志堅さんはいつも明るくて、笑っているイメージが強いんですけど、時には辛いことや悩むこともあると思います。そんな時は、どう乗り越えているんですか?

具志堅:耐える。もうひたすら我慢ですね。現役時代から辛い時はたくさんあったけど、その度「もっと強くならなきゃいけない」と自分を奮い立たせてきました。でも、負けた時は辛かったな。(1981年14度目の防衛戦、ペドロ・フローレスと戦い、KO負けを喫した)1年間くらいずっと落ち込んでましたから。その時は母ちゃん(夫人)に話を聞いてもらいましたね。だから、辛い時は誰かに相談することが大事なんじゃないかな。

——1人で抱え込まない、ということが大事だと。

具志堅:そうだね。あとは勇気です。どんな困難にも立ち向かっていく勇気。1度決めたらやり通すことは大事ですよ。

——今でも悩むことってありますか?

具志堅:悩むことはないなあ。いつものリズムでやるだけですよ。

——最後にひとつお聞きしたいんですけど、沖縄弁で「チルする」は、なんと言うんですか?

具志堅:なんだろうねえ……。あ! 「ゆんたく」じゃない(笑)? そうだ! 沖縄弁で「チル」は「ゆんたく」ですよ!

※ゆんたく:沖縄弁で“おしゃべり”という意味

ー どこまでも気さくで、陽気な具志堅さん。故郷・沖縄の馴染みの店でのインタビューということもあってか、終始リラックスしたムードで取材は行われた。具志堅さんと会話していると、その雰囲気にこちらの緊張もほぐされるような感覚になり、彼の周りに人が集まってくることも頷ける。

都会のビルに囲まれ、張り詰めた空気の中で過ごしている人も多いのではないだろうか。この記事をきっかけに、沖縄のような開放感のある場所でぜひ「ゆんたく」してみることをおすすめしたい。きっと、明日からの活力になることだろう。

取材協力:ちゅらさん亭

取材・執筆:金子大清(ツドイ)
撮影:仲宗根誠
編集:三浦玲央奈(ツドイ)

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